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 ぼそり3◎第7回(平成14年5月15日)
『居室内地層の発生学』


 今日は、部屋の掃除についてです。部屋というものは困った代物で、これがまー放っとくとすぐに散らかってしまいます。ほこり、チリ、新聞や雑誌、脱ぎ捨てた服、ひきっぱなしの布団、いろいろ散在するようになり、あげく床が見えなくなって掃除しようにも手がつけられないという状態に陥ってしまった人の話題は、ここ数年ことあるごとに某かの媒体で見聞きする機会があります。そういう人は珍しくないからといって、では良いのかというともちろんそうではなく、またその有り様を見て「だらしねーなー」などと口にすることで卑しい快楽を味わうのもまた好ましからざることです。

 では、なぜいけないのか、好ましくないのか。端的に申し上げれば、その積み重なった表層だけでなく、その堆積の断面からも、散らかした本人のそれまでの生々しい人生の一瞬が読み取れてしまう可能性が存在するからです。散らかった部屋とは、モノによって書かれた日記です。いつ頃何を食ったとか、その前には何を読んだとか、何着たとか、何回アレしたとか、そこに全部記述されているのです。個人の人生の記録などというものは、頭の片隅にしまっておくか、もしくは日記にこっそり書くだけで充分です。書く過程で選択もできますからマズイ部分は書かかずにおくことができます。日記をつけない人は一生懸命に忘れることによって、過去の忌わしき事実を人生という時間軸から霧散させることが可能です。

 でも、部屋に堆積させるやり方ではそれはできません。本当はできますが、大変に困難を伴う作業になります。いじくるそばからドンドン露見していくことになるでしょう。火に油をそそぐようなものです。だから、事実上無理です。その、散らかった部屋からそのあたりを無意識的に読みとかれる危険性と、散らかっちゃったら取捨選択なんかムリ、の二点が人をして掃除に心砕かせるのであろうと僕は思ったのですが、どうもそうではなくって、どっちかっていえばキレイな方が気分がイイし、それに健康にもいいし、ということのようです。ここまで書いてようやく決心がつきました。これかれワタクシ、部屋を掃除しようと思います。今はちょっと忙しいので明日か、来週か、来月か、来年か、とにかくヒマができたら始めます、始めるかも、始めてみたい、始めますように・・・。【K】


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