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ぼそり3◎第13回(平成15年4月15日)
『アンホーリーナンバー』
今回でぼそり3は、記念すべき13回目です。凶数扱いされることの多い13ですが、それは西欧文明によるある種の目隠しである、というようなことを言いそうな友人が1人か2人はいるなぁという心象を誰しもお持ちではないかと思います。セイオウブンメーだとかメカクシだとかさーなんでもイイんじゃんさー、という顔をする友人も4人か5人はいそうで、加えて自分もそのクチかも、という心象も、同時にお持ちではないかとも思います。
「初めに数字ありき」という言葉はありませんが、ヒトがこの世に現われる以前から13はこの世にあったはずです。「13」に相当する数にあとからヒトが「13」という名前を便宜的必要性から設定したに過ぎません。ヒト以前の数字の扱いは不明ですが、発掘された恐竜の化石の個数を勘定するにあたって「13個ありましたセンセー」ということもあるので、この点からも13という数は原始以前にも存在自体は確認できます。それに、12の次が14だったらそれで丸く収まるのかという問題もあります。14が事実上の13になったとして、それはでも14に見える13に過ぎないわけですから、結局それは13じゃないかということになります。
4や9も、有難くない数字として扱われることがしばしばあります。「死」や「苦」に音が似ているからですが、漢字創成以前にすでに4も9もあるわけで、ヒトがあとから勝手に縁起を悪くしているに過ぎないわけです。ところを変えれば、4はむしろベターなものとして扱われています。野球の四番打者を、縁起を理由に固辞したという打者を、僕は聞いたことがありません。
僕などは、むしろ100とか、50とか、10進法上のキリのいい数字がイヤかなーって思うのです。キリがいいって、ウソっぽいなって思うのです。不自然の代名詞、という印象があります。ゆらぎが少しあった方が気分がイイように思うのです。51とか、107とか。バースデーケーキを切り分けるときだって、スッパリきちんと半分づつなんてことは人間ワザじゃないし、それが願いでもないじゃないですか。キレイに切り分けることは、あるいは工業ロボットなら可能でしょうが、だとしてホントに切り分けられてしまったら「そんな誕生日なんかいらないよ!」って怒って部屋に駆け込んでベッドに潜って明日の朝までシクシク泣くと思うのです。「ひどいよパパ!」って、布団の中で小さくつぶやいてしまうと思うのです。「ママが包丁をまず軽く火であぶった上で、中心線よりやや外角に外れたラインから切りはじめて、結果として予想以上にアバウトにサイズもまちまちに切り分けてくれたっていいじゃないか!」と心の中で思うはずなのです。
では本日はこれにて。【K】
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