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ぼそり3◎第23回(平成16年12月21日)
『歩道橋礼賛』
週一のバイトの行き帰り、駅の東口ルートでも西口ルートを通っても、必ず一回歩道橋を通ります。
歩道橋、ああ、魅惑の響き。
歩道橋の何が快楽と云って、原付や出前のカブ、ハーレーダビットソン、軽自動車にライトバン、セダンにツーシーター、今日も働くトラックたち、パトカーや消防車さえもが等しく我が足下を通って行く、そのシュールさによるめまいにも似た感覚と、自動車に煩わされることなく(しかもきゃつらの頭上を越えていく)、まるで雲上の某かのごとくに自らを見立ててしまう、その錯覚的優越感。ただし、葬祭場からの車列が通りかかった場合は、遠慮の意志を示します。
ともあれ、それがあって、信号と歩道橋があったら歩道橋を使う、そして刹那愉悦にひたり、そして再び地上に降り立ち、再び日常にもどっていく。このサイクル、このコントラスト。
特に国道の上を通る歩道橋は、大型車が通り、車線も多く、快楽も一層高いものを覚えます。
大きい駅には、駅前にバスターミナルやタクシーのロータリーがつきものですが、あの上に張り巡らされている立体交差した歩道橋は、あれは、あまり快楽的ではありません。もちろん、この歩道橋の眷族にもそれ相応の面白さはあります。でもそれは、普通の歩道を行くときの面白さ、ユニークなアベックを見かけたとか、こんなイタズラ描きを見つけたとか、そういう類のものが主でして、歩くこと自体に内包されている愉悦の要素は、あまり感じられません。通路という役目に実直すぎるというか、多方向を結ぶ通路として機能せんがためにミュータント的なものになっているものもあり、そこまでいかぬものでも機能的であるがゆえに真面目さ・勤勉さが際立ってちょっとタイクツという印象で、それゆえにか、などと思うのです。
そんな風に考える人になったつもりで、毎週歩道橋を渡っております。【K】
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